TOP > 閲覧順路 > 第1部目次 > 各話 |
◆ | ◆ | |
第33話 原のいない朝 1988年11月12日放映
今、水戸の町は未曽有の混乱に陥っていた。ゴキブリ怪人がなんと繁殖し始めたのだ。一匹見たら三十匹の諺どおり、先週の一匹が今や三十匹余りになっていた。三悪も最初は飲食店を襲わせてただ食いばかりしていたが、最近やっとで金を盗めばいいことに気が付いたところだ。
さて、リーダーも弾も失ったアロハマンは苦戦を強いられる一方だった。しかし人数が減ったわけではない。二人との仲が気まずくなった原は、一人で野宿の生活をしていたが、出動がかかった現場には何故かやってきて、戦ってゆくのだ(向こうにも長官が出ているのに違いない、と二人は考えていた)。しかも彼のギャグ頻度は衰えるどころか、呼び水のごとく連綿とギャグがギャグを呼ぶその様は、もはやこれもひとつの芸術と呼べるまでに高まっていた。史上最低の芸術だ。 三人はもっぱら神器だけで戦っているわけだが、砕玉剣を付けた原が鉄砲水の如くギャグを垂れ流しているのだから、気違いに刃物どころの騒ぎではない。辺り一面光の洪水(しかも破壊光線)だ。呼びもしないのに遅れてやってきて、しかもそんな事をしていくのだから、何しにきたのか分かったものではない。 ところがある日、原の野宿場へ二人が訪れた。また三人で生活しよう、という。かってのリーダーに対して、この仕打ちはやはり忍びない、俺達が大人げなかった、と。自業自得とはいえあんな扱いを受けたにも関わらず、原は素直に喜び、涙した(あとギャグも)。かけがえのない仲間。いいものだ。二人の笑いがどこか虚ろなのも気にならなかった。そろそろお前のブレスレットもガタが来てるだろう、直しておいてやるよ、との言葉に疑いもなく渡した。久しぶりの魚光に戻り、懐かしげに部屋を見渡した。帰ってきたんだ。全てのものが、まるで何年もたったかのように懐かしい…。 後で、ドアの閉まる音がした。鍵が外から掛かり、内側から開けることは出来なくなっていた。見ると、窓も開かないように溶接されている。二人が階段をおりていく。暫らく事を理解し切れず混乱していた原だが、やがて動き回るのをやめて座り込む。 何故か妙に落ち着いていた。これも運命なのだろうと思った。それでもなお彼のギャグは止まらなかった。なぜそうなってしまったのか分からなかった。だがその答えが自分の抱える大きな矛盾に端を発しているように思えた。彼は今までの自分の人生を思い出していた。アロハレッドとしての日々、アロハマンになる以前の生活…。 高校、中学、小学…。思えば物心ついてからというもの俺とギャグは一心同体だった。生まれる前からギャグを言っていたような気さえした。ギャグは生きる喜びであり、理由であり、目的であった。だが皮肉なことに、その存在意義である筈のギャグを行使することは取りも直さず存在意義の消滅を意味するのだ。言い換えれば、存在意義を消滅させることこそが彼の存在意義なのだ。この大いなるパラドックス、次元の捻れ目そのものが人の姿をとったもの、それが自分という存在なのだと思った。彼をそこに縛り付けて開放させまいとするもの、それは彼のギャグのつまらなさ、ただそれだけであった。 しかし彼は、・・それからも永遠に逃れることが出来ない。なぜならそれは、彼が「原」であるからだ。この出口のない自己矛盾と二律背反の部屋から抜け出す術は何もなかった。それでも原はギャグをやめなかった。彼にはそうするしかなかったのだ。原が原であるために、原が原である限り…。 朝日が昇る人気のない町中。ようやくゴキブリ怪人を全滅させた二人は、もはや立っているのがやっとだった。怪人どもは昆虫の哀しさか、もう寿命が来ていたのだ。二人は勝った気がしていなかった。虚無と脱力にうちひしがれながら魚光に戻る。ところがドアを開けて、なにかおかしいのに気が付いた。そう…誰もいないのだ、部屋の中に。暫らく呆然と見ている二人。出口のない部屋。考えられる事は一つしかない。とうとう原は自分の存在意義消滅力によって、自ら消滅してしまったのだ。 部屋には何の形跡もなく… まるで、原など最初から居なかったかのようであった。 |
||
◆ | ◆ |
TOP > 閲覧順路 > 第1部目次 > 各話 |